ニュースリリース
この度、病院ホームページにコラム欄をつくることになりました。宜しくお願い致します。新聞のコラムはニュース以外の評論やエッセーなどの記事を指しています。本欄も病院のお知らせやニュース以外で、私どもが日頃見たり、聞いたりしたこと、あるいは昨今の医療や介護の課題、問題点などについて少しの感想や意見を加えて皆様にお届けしたいと思います。
今回は看取りの場について考えてみたいと思います。
ヒトは誰もが亡くなります。亡くならないヒトはいません。皆さんは、亡くならねばならないとしたら、どのような死を迎えたいでしょうか、どんなところで看取ってもらいたいでしょうか。日頃元気にお過ごしの皆さんが亡くなり方を考え、近親者と相談することは少ないと思います。あとで触れるように亡くなり方と看取り方に、このように死にたいという本人の希望と、このように看取りたいと言うご家族の希望の間に差があるようです。皆さんで、少し考えてみませんか。そして、よりよい死を迎えるようにしませんか。勿論、幸せに健康に長生きすることが前提です。
看取りの場は大きく変わってきました。厚労省の統計によれば、戦後間もなくの昭和26年は約80%の方が自宅で亡くなっていました。病院や診療所で亡くなる方は僅か12%に過ぎませんでした。その後、自宅で亡くなる方が減り、病院でなくなる方が増え、昭和51年で半々になり、その後もその傾向が続き、現在は病院や診療所でなくなる方が80%を占め、特別養護老人ホームを含む自宅で亡くなる方は10%へと減少しています。割合からすると丁度逆転したことになります。
こうした変化の背景には医療技術の進歩、疾患構造の変化とともに社会や家族のあり方、考え方の変化があると思います。
戦後間もない頃の死因の第一位は結核で、脳血管障害が第二位でした。その後、結核による死亡は急激に減少しました。脳卒中による死亡は昭和30年代にかけて増加したあと、昭和40年代には減少に転じています。昭和40年代から増加してきたのが悪性新生物と心疾患です。更に最近では肺炎、特に誤嚥性肺炎が増加しています。このような疾患構造の変化は死や看取りに対する考え方に影響を及ぼしています。
医学の進歩や医療技術の進歩も看取りに対する考え方に影響を与えています。いわゆる延命治療や非経口的な栄養補給方法の進歩は終末期にあるヒトの長期の生存をもたらしました。意識がなく、自力で動くことができない状態でも数年以上の生命の維持が可能になりました。最近は在宅での管理も可能ですが、ご家族の負担が大きく、入院しておられることが多いようです。
社会や家族のあり方も変わってきました。戦後の復興、昭和30年代の高度成長期、若者は都会に向かいました。私は昭和39年に中学校を卒業しましたが、一割の同級生が集団就職で都会に出ました。昭和42年に高校を卒業しましたが、半数以上の同級生が県外の大学に進学しました。3世代同居から核家族化、そして少子化が進みました。田舎では高齢者夫婦や単身高齢者の所帯が過半数を占めるようになりました。高齢化し、不自由になった家族を介護する環境は失われています。
ところで皆さんは、死ぬ場所が選べるとすれば、どこで死にたいですか、どこで看取られたいですか。そうしたアンケート調査が沢山行われていますが、その多くの調査で、病院で亡くなるよりも自宅での死を希望、期待する人が多いという結果が得られています。現在の病院では、沢山の管をつけ、心臓マッサージを繰り返すというような看取り方は少なくなりました。勿論、予期せぬ急変ではそうしたことも行いますが、急変時への対応のご希望を予めお聞きするようになりました。延命の希望がない場合は静かに看取ることも多くなっています。亡くなられる方とご家族に配慮して出来るだけお別れの時間が取れるようにしています。それでも、病院で亡くなられる場合はご希望に沿えないことも多くあるようです。そうしたことから、自宅での看取りを希望される方が多くなってきたのではないかと思います。
近年の医学、医療の進歩から命は限りなく救えるもののように思われてきました。しかし、けっしてそうではありません。亡くなる覚悟、見送る心構えが必要です。同時に、亡くなり方、看取り方も考え、相談すること、そしてご家族で考え方を共有することが必要と感じています。今日、ご家族で話し合ってみませんか。