ニュースリリース
その治療は救命か、延命か ―
私が今まで学んできたものが少なかったからか、研修医になってからあまりにも勉強すべきこと、考えるべきことが多い。「知らなかった」、「判断できなかった」では目の前の人にとって大切な時間が失われる。
もちろん知らなければ考えられない。知識を集めようとするのも、知らないことがあると認識するから本を買って、頭にいれる。そしてどんな治療法があるのか、ここでは何ができるのか、相手は何を望んでいるのかを考える。私は学年で一番早く北里大学病院 救命救急・災害医療センターで研修してきた。医療資源と括られる、医療スタッフ、体外循環装置などの機材、そして関連施設が違う―というのはもちろん見ればわかる。違うと感じたもののうちの一つに、年齢層はもちろんだが、来院する人びとの違いがあった。もちろん一人ひとり違うのであり、本人、もしくは家族の希望により治療は変わる。その意思決定がなされていなかったら、もしくは十分考えられてなされたものでなかったら、こちらの采配によって救命されるか決まってしまうこともないとは言えない。文化人類学も含めて勉強している先生もいる。そのようなことを考え続ける必要性を感じた。
仮にも医師になって半年が経過し、自分のなかで変わったなあと思うことは、主体性が生まれつつあること。つまり自分の世界は自分によって操れると、責任を感じられるようになったこと。そう変化させたのは、デニス・ウェイトリーにも通ずるが、佐渡の開放的な自然と空気だったのだなと思う。