先輩からのインタビューをご紹介します。

那須田 桂

こんにちは。那須田桂といいます。


2021年から4月から佐渡総合病院で初期臨床研修を開始し、2023年3月で無事修了しました。


佐渡での初期研修は密度の濃い充実した2年間だったと感じています。初期研修先を探している医学生のためにも、自分が初期研修の2年間でどうなって何を学んだかを省みるためにも、将来自分で読んで懐かしくなるためにも、初期研修に関することを文章にしてみようと思います。


佐渡で研修することになったきっかけ

僕は静岡県の浜松市で生まれ育ち、東京大学に進学するタイミングで上京し、6年間東京で過ごした後、何の縁もない佐渡島で初期研修を行いました。なにがどうなった結果佐渡で研修することになったのか書いていきたいと思います。


僕はそもそもマッチングに対して熱心だったわけではなく、5年生の頃は「病院見学は6年生になってからでいいだろう」と考えていました。いざ2020年になり、6年生になるころに今度はCOVID-19が流行し始め、不要不急の外出が禁止になり、当時病院見学を不要不急とするかどうかは多少議論があったようにも思いますが、僕は「学生実習すらオンライン化されている緊急事態の中で、都内在住の人間がそれなりの規模の医療機関にわざわざ出向いて医師と話したり病棟を回ったり(して医療従事者や患者の感染リスクを高める利己的な行為)はしない方が良い(医療を志す学生ならなおさら避けた方が良い)」というようなことを考えていて、結局病院見学に行くことはありませんでした。


初期研修先を決定するにあたっては「自分は将来的にどういう医師になりたいのか、そもそも臨床医として今後もやっていきたいのか」ということについて考える必要がありました。僕は昔から生物学に関連することにかなり広く興味があり、大学に進学した後も2年生で学部を選ぶタイミング(東京大学にはそういう制度があります)で医学部と他の生命系の学部で多少迷うぐらいで、「自分の興味のあるものからどれか一つに進路を絞る」という行為をかなり苦手にしていました。学生のうちはそれで大きな問題は生じなかったのですが、初期研修する病院を選ぶ段階になると、「初期研修する病院を適切に選択する」ために「初期研修後に何をするか選択する」ことが必要になってくることになり、「初期研修後に何をするか選択する」とはつまり「今後の人生をどうやって生きていきたいか決める」ということにもつながってくるので、そんな20年30年とかの長いスパンで人生のことなんて考えられないし、今広く持っている興味の中からどれかに1つに絞ることもできないし、どうしよう、と悩むことになってしまいました。


今考えると、初期研修先によってその後の人生が大きく制限されることなんてないし、最初の計画とやりたいことが変わったらまたやり直せばいいだけだと思うのですが、とにかく当時は「適切な」さらに言えば「最適な」選択肢を取ったほうがいいのにうまく選べない、ということで多少困っていたように思います。社会人として生活することがどういうことなのかイメージしきれなかったのも悩んでいた要因の一つだったかもしれません。それなりに長期間悩んで、悩んだ末の結論として「東京大学医学部付属病院で初期研修をすれば、病院機能の点からも研究室の点からも他学部との近さの点からも、今後の進路選択の可能性が制限されることはないだろう」という消極的な安牌の選び方をして、自大学である東大病院単願でマッチングに参加することを決め、試験を受け、アンマッチしました。おい!!!!!!なんでよ!!!!!


アンマッチしたこと自体もその瞬間はそれなりにショックでしたが、実際に大変だったのは、進路選択を先送りにできる東大病院という安牌を失ったことでした。長期間悩んだ末に決められなかったことと同じことをまた悩むことになり、アンマッチ後どう動いたらよいのかわからないことも相まって、マッチング期間中よりも先が見えない状態になりました。そんな中で、なんだかんだ自分で病院を調べたり、同級生や同級生の兄弟がおすすめの病院を列挙してくれたり(お世話になりました)して、アンマッチ直後はあわただしく動いていたのですが、ある程度経つと、「アンマッチした学生」と「フルマッチしなかった病院」がお互いをじろじろ観察しながら研修先がぽつぽつ決まっていく、黄昏のような(?)ゆったりした時間が流れていて、案外落ち着いて先のことを考えることができました。(ちなみに、アンマッチ後は「コロナ禍の社会における”外出や交流の予備能”は自分のような状況の人間に振り分けられるべきだ」というようなことを考え、病院見学は不要不急ではないと判定し、積極的に病院見学を行っていました。)


話は少しさかのぼり、佐渡総合病院のことを最初に知ったのはアンマッチ初日のことでした。僕はマッチングの結果が発表される日に「マッチングの結果が出る瞬間に通話を繋いで、リアルタイムで悲喜こもごもを共有しよう」という趣旨のzoomの部屋を立てて同級生に声をかけていて、その結果アンマッチが判明する瞬間の表情を集まったみんなに晒すという寓話をやっていたのですが、そのzoomのおかげでアンマッチした直後から同級生たちに助けを求めることができました。助けを求めた人たちの中に、佐渡総合病院に内定していた澤辺という同級生がいて、彼から「佐渡総合病院どう?」と誘われたのが佐渡総合病院のことを初期研修先として認識したきっかけです。誘われてからしばらくの間は現実的な選択肢として意識していませんでした。都内や関東に居続けたほうがいいように思っていた部分があったのは認めざるをえません。今思うと都内に残らないといけない理由なんてどこにも無いように感じますが(今後やっぱり都内にいればよかったと思う可能性も否定できませんが…)、当時は「それまでの人生はわりと最短ルートで(外面は)最先端みたいなところに居続けていたのに、そこから外れるのはもったいない」というようなことも考えていたように記憶しています。今はもうそういう価値観は自分の中からかなり消え失せています。これが良いことなのかどうかを確かめる方法はありませんが、自覚的な後悔は全くないです。


最初は選択肢になかった佐渡総合病院ですが、アンマッチ後の黄昏の時間の中で冷静にさまざまなことを考えたところ、佐渡総合病院で何の問題もないのではないかという気持ちがどんどん大きくなっていきました。佐渡総合病院で初期研修を行うのが良さそうだと思うようになったポイントとして、インターネットさえ繋がるのなら田舎で生活することに何の抵抗もないこと(当時はコロナ禍の行動制限が強く、都心にいて享受できるメリットが少なくなっていました)、澤辺がいるなら生活に完全に退屈することはないだろうこと(澤辺とは過去に1時間ぐらい話したことがあるだけの間柄でしたが、面白いヤツだろうとは思っていました)、何の縁もない島で暮らすという謎の期間があったほうが客観視して面白い人生になるだろうこと、などを考えていました。また、自分にとっての理想の医師像が定まっていない中でも、唯一「実際に手を動かして何かできる方がかっこいいし偉い」という価値観はもともと(医療と関係ないことに関しても)強く持っていたので、「佐渡総合病院の初期研修の内容はよく知らないけれど、離島の病院ということは実際に手を動かすことは多そう」ということも考えていました。後に詳しく触れますが、実際の佐渡での生活や初期研修は上記のポイントを満たしていただけではなく、それ以上に自分の理想に合致したものであり、このとき佐渡を選択肢に入れて大正解だったし、誘ってくれた澤辺や、なんなら落としてくれた(?)大学病院にすら感謝の念があるような状態です。


11月終わりごろに見学兼面接に佐渡を訪れ、雰囲気もよさそうで、見学した救急外来での症例も島ならではといった感じで面白そうだったので、その場で初期研修先に決定しました。以上が僕が佐渡総合病院で働くことになった経緯です。


佐渡総合病院での研修・仕事の特徴

佐渡総合病院での研修の特徴だと僕が認識していたことを簡単に挙げていきます。他の病院で長く研修したわけではないですし、主観も大いに含まれていると思います。別の研修医に聞いたら別の特徴が挙がるかもしれません。

診療に関する部分での特徴としては、研修医が一人の医師として動く場面・そう動くことを要求される場面が多めだったのではないかと思います。夜間当直・休日当直において、ファーストタッチ~帰宅・紹介・入院の判断まで、上級医の確認はあるものの基本的に研修医が主体で行うことになっていて、それによって救急外来をなんとかする力がついたと思います。自分がなにもかも完璧にこなせるわけではない状況下で、診察する順番・検査の種類・状態の評価・帰宅できるかなどの判断を迫られ、その結果どうなるかのフィードバックが返ってくるということを繰り返し経験しましたが、そうすることによってのみ得られる能力もあったように思います。単純な診察の能力が鍛えられるだけでなく、緊急性のある状況・人手が足りない状況・トラブルが起きている状況などの力が出しにくい状況でも、冷静に判断し必要なことを行うことが求められるので、そういうメンタリティや考え方が鍛えられる面もかなりあったと感じています。  救急外来だけでなく、内科ローテ中に週に1~2回ある内科新患外来でも、上級医による最終的なバックアップはあるものの、救急外来より細やかな診察をする能力が求められることになり、救急外来で鍛えられる能力とは少し違ったものも鍛えられていたと思います。2年目に1か月経験する両津病院での地域研修でも、救急外来や内科新患を通して培った能力を発揮しないとどうにもならない場面があり、自分ができるようになったこと・自分がまだできるようになっていないことを実感し、とても勉強になりました。


学生のうちは全く考えていなかったことなのですが、「佐渡総合病院が島に1つしかない大きな総合病院である」ということも能力の向上に大きく関わってくるポイントでした。というのも、救急外来にせよ、内科新患外来にせよ、一度自分が診察した患者さんがその後も再び佐渡総合病院を受診することがほぼ確実であるため、自分の診察がある程度長期的に見て正しかったかどうかを実際にその患者さんのその後を見て確認しフィードバックを得ることができます。輪番制を敷いているような地域や周囲に他の大きな病院があるような地域では、一度診察した患者さんがその後別の病院を受診し、自分の外来での対応が適切だったかを実際に患者さんを見る形では確かめられなくなってしまうことが多数あると思います。そういう病院でも自分の診察が手続き的に正しかったかどうかを教科書や論文等であとから検証することは可能だとは思いますが、そんなに単純なケースばかりではないですし、実際の姿や転機を確認することによる学習の効果はとても大きいと実感する経験がたくさんありました。外来診療に関しては、学習の機会が多いだけでなく、学習の効率も良かったんじゃないかなあ、と思っています。


「島に一つしかない大きな総合病院で研修をする」ということに付随する特徴として、疾患が限定されにくい、ということもあります。高齢化率の高さ・人口規模・佐渡総合病院の医療機能の限界もあり、「日本の平均的な疾患をバランスよく網羅できる」というわけではないのですが、比較的幅広い疾患をみる機会がありますし、確率はともかく、実際に生じた疾患の多くは一度は佐渡総合病院を通過する構造にもなっているので、最初から可能性が限定されることはないと思います。「どのような初期研修を行い、どうなって初期研修を修了したいか」というのは人によってさまざまな理想があるものだとは思いますが、「幅広い疾患をそれなりにみることができる」というのは自分にとって大きな魅力で、やってみて性に合っていたと思います。とはいっても、極端に言うと「疾患によらず、緊急性によらず、田舎や無人島などの他に人がいない状況で救命や快適な生活を送る上で必要な医療を提供する能力を身に着けたい」みたいな志向を僕は最初から持っていて、そういう離島的医療技術習得を目指す人にとっては、離島で研修するのは合っているという、分解してみれば当たり前の話ではありました。現代の機能分化が進んだ医療システムで働くことを考えた時、一点特化しない幅広いスキル習得を志向することが本当に正しいかは疑問の余地がある話かもしれませんが、そうはいっても僕は「とりあえず何でも自分でできるようになる」ということに強い魅力を感じます。こういう志向を持った人はそれなりに多く、そういう人たちとって佐渡での研修は良い感じのものになるのではないでしょうか。


病棟についても、患者さんを1st Callの担当医として受け持つ場面が1年目の早いうちからあり、学生ではなく医師として働くことの実感や責任を早くに体験できました。これはその後の研修生活を有意義なものにする上で強く効いていたなあ、と振り返ってみて思います。複数の疾患や病態が絡み合って簡単に課題を切り分けられない状態の患者さんの治療方針をどうするべきか評価したり調べたり自分で考えたり、夜間に生じた変則的なトラブルに対してどう対応するかの瞬発力が試されたり、患者さんのご家族と治療について話し合ったりしたことは、お客様研修医として仮想的な仕事をする上では生じにくいけれどとても重要なことで、そういうことを早いうちに経験できて、そういうことを念頭に置いたうえで日々の業務を行うことができたのは、有意義だったと感じています。


というような、ここまで書いてきたような感じで密度濃いめの研修をしているタイミングもありましたが、実際どのようなレベルで仕事を任されるかは回っている科やタイミングによって違いました。研修生活全体を通して見ると、ずっと忙しくフルパワーで動いていたということはなく、基本的にはそれなりに余裕をもって仕事している中で「1時間~1ヶ月ぐらいのスパンの、本気を出さないといけない状況」が時々来る、という感じでした。このような仕事形態は僕の性にあっていたようで、無為に毎日を過ごしてしまうわけでもなく、体力的にガタが来るようなこともなく、充実しながらも無理のない生活ができていました。朝起きて仕事に行くのが憂鬱だった日は1日もなく、快適かつ有意義な研修生活を送れたため、そこまで真剣に考えず研修病院を選んだ身としてはとてもラッキーだったと思っています。


手技に関しても、自分のレベルに応じていろいろなことを経験することができるような病院だと思います。前述したとおり僕は「将来使うかどうかとは関係なく(医療に限らず)何でも自分でできる方が偉い」と思っている、いわゆるスキル厨なのですが、スキル厨としてもかなり満足のいく研修生活でした。どこまでのことを研修医が行えるかはその時の上級医の先生の考え方や研修医側の能力、研修医本人の希望の有無によって大きく変わってくるものだと思いますが、僕の2年間の研修生活では、循環器内科・整形外科・脳神経外科・産婦人科・呼吸器内科・消化器内科・外科など、ローテした多くの科で様々な手技を経験し、科によっては訓練を繰り返してある程度形になるところまで習得することができたと自分では思っています。大学の同級生や他の病院の研修医の話を聞いた感じだと、佐渡総合病院は他の病院と比べてかなり幅広い手技を経験・訓練できる方だと思います。


上記のような「研修医が一人の医師として働くことが多い」という研修の特徴は、佐渡島の医師が不足していることと強く関連していると思います。「誰かの枠を奪って自分がそこにいる」という状況ではなく「自分がいなければ医師が一人減る」という状況での初期研修は、有意義な研修を送ることにもつながるし、医療全体を見てもたぶん大きな意味のあることだし、「自分の存在価値が明確にある」という意識は精神的な余裕や充実感にもつながるし、実際やってみたら良いことばかりでした。僕は「都心と田舎の給料の差はそれだけ医者の需要に差があるということなので、都心に比べて給与が高いがフルマッチしていない病院で働くことは、給料の差分より大きな社会的意義のあることをしている」みたいなたぶんちょっと単純化し過ぎた都合のいい主張を心の内に据えて、自分を讃えようと思えばいつでも讃えられる状況で生活していました。


これまでとは逆に、佐渡総合病院の研修で他の病院と比べて欠けているのではないと思うことを挙げます。「最先端の医療に触れる機会が少ない」「アカデミックな勉強の機会が少ない」の2点が大きいんじゃないかと個人的には思います。前者に関しては僕は「最先端の医療を行っている病院で研修しても研修医がそれに深入りするわけではない」と思っていて、それよりも自分が主体的にかかわることが多いことの方が重要だと考えているのですが、この認識が実際に正しいかどうかはわかりません。後者については、「座学の勉強はモチベーションさえあればどこにいてもできる」みたいなことを最初は考えていたのですが、実際にガッツリ勉強したかというと、自分の受け持つ症例についてのピンポイントな勉強は何度もしたものの、全体を体系的に深くとらえるような勉強は結局ほとんどしなかったので、今は「外的に勉強の機会が与えられる環境に行くことのメリットはある」ということを思っています。当たり前すぎる。2023年度から外部講師の方を招いて定期的にクルズスを行うみたいな話があるらしく、この点に関しては改善されているのかもしれません。


ここまでの話をざっくりまとめると、高度な最先端の医療を体得するためにコツコツ積み上げていく下積みの2年間だったというよりは、医師として(離島の)医療をそれなりのレベルで実践的に行うために必要ないろいろな能力をとりあえず形にできる、そんな初期研修プログラムだったと思います。


研修プログラムとは直接関係ない労働環境の話ですが、「あらゆることの小回りが利く」という特徴が研修生活をかなり快適なものにしていました。例えば、月の当直回数ノルマをクリアしていれば当直に入る日を自分で好きに選べたり、どの科をどの順番で回るか直前に変更出来たり、ある科を回っていても別の科のイベントに参加出来たり、有給が簡単に取れたり、書類関係の仕事は少なく融通が利いたりなど、制度で強く縛られる部分が少なく、暮らしやすかったです。業務に関することでも、医師どうしがお互いを人間個人としてはっきり認識している状況なのでコンサルや相談がしやすかったり、科内での情報共有に時間がかからないので長いミーティングがなかったりなど、佐渡総合病院の特性というよりは単純に病院の規模に依存している部分かもしれませんが、居心地が良かったです。


佐渡での生活の様子

どのように暮らしていてどんな出来事があったのかを簡単に書いていきます。ここには書けないこともここに書いた以上にたくさんありました。


研修1年目はCOVID-19に対する水際対策(文字通りの水際対策)がなんだかんだ機能していたし、感染があっても経路がある程度追跡できていて、手に負える範囲だったように記憶しています。店の営業時間短縮や島外への移動に関する手続きなど、制度上のことはありましたが、島内では実際の疾患としてのCOVID-19のことはそこまで意識せずに研修を送れていた時期がありました。他の病院に勤めている人たちが「病棟内でのクラスター発生」とか「診療制限・新規入院中止」とか「県外移動制限」とかの話をしているのを聞いて、どれも自分のところにはない話だったので、島での研修って特殊で面白いんだなあと思ったのを覚えています。研修2年目に入ったら他の地域と同様COVID-19が猛威を振るうようになりました。


生活必需品は島内で買い揃えることができ、島内にないものはAmazonがすぐに届くので、生活上の不便を感じることはあまりありませんでした。夜の割と早いタイミングで飲食店が閉店するのは人によっては困ることだったかもしれませんが、僕は自炊するのが趣味だったのでそれも問題なく、春は山に行ったりダムに行ったり、夏は川に行ったり海に行って泳いだりもぐったり、秋は山に行ったりダムに行ったり、冬は家でネットをしつづける、と、自分の好きなことをして楽しく生活できていました。「日本海側の冬は日照時間が少なくて気分が沈みやすい」みたいな話もあって、実際春夏秋に比べて冬は島の魅力が体感だと8割減ぐらいになるのですが、だからといって困るとか生活に支障が出るとかそういうことは特になかったです。アウトドア適正と引きこもり適性の両方があって良かったです。


研修医4人だけが住んでいるアパートの2階に住んでいました。「どんなにうるさくしてもいい」というルールを定めて、階段にバスケのゴールを設置したり、事情があってアパート全体のロックダウンが発令されたり、共有スペースに異常な数の釣り具が並んでいたり、お互いの部屋を行き来して料理をふるまったり飲み会をしたり、夜中に突然道路工事のような音が響き渡ったり、お互いに気を使うことなく楽しく生活できていて、この生活はおそらく何年たっても思い出せると思います。いい思い出ができました。


若年者向けの美容院が少なく予約も先まで埋まっていて時間の都合もつきづらい、という状況だったので、澤辺とお互いにお互いの髪を切るようにしました。最初はYouTubeで予習して基本概念を掴み、時間をかけながらも多少凝った感じにしようとしていたのですが、だんだん慣れてきてシンプルになっていきました。上級医の先生の家に出張して髪を切る機会も何度かありました。手技が上達する感覚は良いもので、もっと多くの人の髪を切るようになることを想定していたのですが、「縁もゆかりもない島で生活するにあたって髪型が変になったとしてもなにも困らない」という思想を広めることはできなかったのは、僕の力不足です。


学生時代は車を持っていなかったのですが、島での生活には車が必要で「研修医同期の中で誰か軽トラを持っていたら便利」という理由で中古の軽トラ(ホンダアクティトラック)を購入して、2年間乗っていました。釣り具を載せたり、フィンとシュノーケルを載せたり、BBQセットを乗せたり、粗大ごみを載せたり、引っ越しを手伝ったりと大活躍で、軽トラを買ってよかったです。車高が低くなくてフロントガラスが大きいのでドライブで景色を見るのにも向いているし、山の中の謎の激坂もローギアで登れるし、狭い道をすれ違ったり切り返したりもできるし、汚れてもべつに洗わなくていいし、佐渡島で生活する上でかなり良い選択だったと思います。エアコンが古すぎてフロントガラスの氷が全然融けなかったり、地図に載っていない港に日没直前に着いて海に繋がっている坂で前輪がバーストしてヤバかったりなど、困ったこともありましたが、それも含めて初めてのマイカーに愛着を持っています。自分が島を出るときに冷蔵庫含め家具一式を軽トラに積載しフェリーで離島するというのが目標だったのですが、無事達成することができました。


前述のとおり僕は自炊するのが趣味で、佐渡での生活でも自炊していました。スーパーに地場産の野菜が販売されている直売所があって、春にはギョウジャニンニクが売られていたり秋には知らないキノコが売られていたりするのですが、季節のものや地域のもの、見たことないものを買って調理して食べるのは楽しかったです。同期や実習に来た学生を家に呼んで適当に作った名前のない料理をふるまう機会もあって、そういう交流もいい思い出です。同期が釣った魚を捌いて調理することも何度もありました。80cmぐらいのアカエイを風呂場で解体して臭くて食べれたもんじゃなくて、ミンチにしてスパイスを混ぜまくって揚げたらギリ食べれるものになったけれど食後のげっぷが毒ガスみたいな臭いになったこともありました。キッチン台を横に拡張したり、冷蔵庫を追加でもう1台買ったり、東京の狭い部屋ではできなかった理想のキッチン環境を構築できて、そういう点でも生活の満足度が高かったです。


2年目の夏は毎週末海に行っていました。水着のまま車に乗り、目的地のすぐ近くに車を停め、3時間ぐらい泳いだり潜ったりして、濡れたまま車に乗って帰り、家でシャワーを浴びる、というサイクルを繰り返していました。海水浴というイベントにおいて面倒な着替えとかシャワーを完全に省略できた結果、行動開始に必要なエネルギーが減り、面倒くさくならず純粋に楽しむことができていました。水が綺麗で、魚も岸からすぐのところにたくさんいて、晴れている日が多くて、海で泳いだり潜ったりするには恵まれた環境だと思います。一番感動したのは回遊しているブリ100匹ぐらいの群れに偶然出くわした時でした。潜れる時間が伸びていくことやGoProの扱いに慣れていくことも楽しかったです。  そこらへんの道路に車を止めてそこらへんの海でそのまま泳ぐことができたし、上級医の先生に船を出してもらったときに湾内でちょっと泳いだりもしました。いろいろな海を全身で楽しめたことは、一生忘れない素晴らしい記憶になったと思います。


山も気軽に行けます。病院からは北に大佐渡、南に小佐渡が見え、どちらも車で20分ぐらいかければ山奥までたどり着けます。ダムのほとりを歩いたり、草木や木の実を見たり、虫を捕まえたり、自然へ気軽にアクセスできて満足度が高かったです。山にいる危険な生物はマムシとスズメバチぐらいで、クマやイノシシの心配をしなくていいというのもポイントが高い部分だと思います。


佐渡は星が綺麗です。視力が悪くなる前、幼少期に地元で見た夜空の記憶よりもたくさんの星が見えたように感じるぐらい星が見えます。家が広いのも車を停めやすいのものもそうですが、人が少ないことに依存した魅力が多くあると感じていました。


初期研修中、電子カルテ上やそうでないところでプログラミングをする機会が何度かあり、コーディング力が上昇しました。もともと大学の基礎科目の実習でデータを処理するようなプログラムを書いたことはあったのですが、「自分がプログラミングをすることで実際行われている仕事の役に立つ」というシチュエーションにいたことがなかったので、実務上必要なことは何かを考えてググりながらコードを書く、という経験をゼロから積むことができ、結構成長したと思います。書いたコード自体が技術的にすごいものとかでは全然ないんですが、仕事を実際に現場でやっていて業務の流れを把握している人が「どのような種類の作業なら効率化できるか」を知っていること&実際にそれを効率化する術を持っていること ってかなり大きなことで、技術力が高い人がどこかに小数いることよりもそこそこの人がそれなりの数遍在していて現場の声に合わせて動けることの方が大切なんじゃないかなあという感想を持っています。プライバシーの保護や安全性が重要視される環境において、実際にそこで働いている(うさん臭くない)医療関係者がそういう技術を持っていることの潜在的な需要はかなり大きいと思うので、今後も似たような機会があれば手を出していきたいし、医学生の皆さんも(?)積極的にやっていったらいいんじゃないのと思います。


他にも、高校生の受験相談に文章で回答したり、小児科外来で脊椎動物の進化と海洋大型生物の話をしながらイラストを描いたり、皮膚科に呼ばれてサシガメの幼虫の種類を調べたり、島民の有志の方々の前で研修中に思ったことの公演をしたりなど、自分の特性に合わせて予想外の仕事が降ってきてそれを気持ちよく打ち返す、というようなことが時々あって楽しかったです。上述したプログラミングもそうですが、病院の規模と小回りの利く体制によって「やったら全体が良くなるであろうこと」をする際に足を引っ張るブレーキが少ないように感じられる場面が多くて、快適にやりがいを感じながら働くことができていました。


考えたことや思ったこと

佐渡での2年間で、公私入り混じった環境で様々なことを体験し、能力的な向上だけでなく、新たな価値観を得た部分もあれば、それまで持っていた価値観を脱ぎ捨てたと感じる部分もあります。医療費について、働き方について、身内の得と他人の損のバランスについて、責任と干渉可能性の違いについて、自分の能力に伴う責任感について、など、いろいろと医療らしいことについても考えましたが、ここではその後の自分の行動にも強い影響を与えている2つの変化を取り上げて詳記しようと思います。


「その時考えていることは本当に考えたいことなのか」に以前よりもかなりシビアになりました。自分が努力しているつもりになっていることは意味のあることなのか、自分の考えに都合のいいバイアスがかかっていないか、そういうことを強く意識するようになりました。


救急外来では判断を迫られる場面の連続でしたが、判断のために考えたり調べたりしているその瞬間はサボっているつもりはなくても、あとから考えると非効率な時間のかけ方をしていたとわかることが何度もありました。輸液の種類、画像検査をどのタイミングで行うか、次の救急車が来る前にウォークインで待機している人を一人診察するかどうか、その他診断や処置に関わる様々なことなど、簡単には選べない選択問題に直面する場面は多くありますが、「その全てに対して最適な答えを考え抜いて丁寧に結論を出す」というのは必ずしも正しい戦略ではなかったです。じっくり考えても結論が大きく変わらない問題については深追いせず、バランスよくこなして80-80-80の結論を出すことのほうが100-100-40の結論を出すよりも有益であることが多かったと思います。


医学的な問題を最適に解決しようというある意味潔癖的な態度で業務に当たっていた時には「目の前のことを100点でこなす」ということに注力してしまい、忙しい場面でも他のことに手が回らず重要なことに時間をかけられなかったり、早く行動に移すべき場面で動き出しが遅れてしまったりしていました。こうやって書き起こしてみると、「優先順位を意識して重要なことを先に行うべき」という当たり前の話なのですが、実際に適切に行動するには文面以上の難しさがあったと感じています。目の前の課題に注力しているときはそのことに対して頑張っているため、むしろしっかり仕事をしている意識が強いです。この「仕事をしている感」というのがやっかいで、仕事をしている感があるかと実際に仕事ができているかは同一ではないのに、仕事をしている感を得るために労力が必要なせいで「労力を払っているからいいことをしている」というある意味思考停止した自己正当化が生じてしまうことがあります。そこに陥らないためには自分がそうなりうることに自覚的である必要があると思います。


とはいっても、全力で労力を払うことでしか結果が得られないこともあるため、何もかもを斜め上から眺めていればいいわけではなく、腹をくくって猪突猛進することも時には必要でした。「いつでも時間効率を優先する」あるいは「全てに丁寧に取り組む」という簡略化したルールを採用することは正しいとは言えず、状況に応じて「考えるべきことの範囲」も考えて、全体を意識しながら小さな課題についてもしっかり考えることが必要なのだと思っています。


自分の判断にバイアスがかかっているのを感じたことも多くあります。「大丈夫な理由を頑張って探しているときは大丈夫と判断するべきではない」「面倒くさいと感じているときはその気持ちを振り切って行動した方がいい」などの法則(それこそこれも簡略したルールではあります)を意識することで、多少はバイアスを打ち消すことができていたのではないかと思います。病院に訪れる患者さんの言動から正常化バイアスなど合理的でない認知特性を感じることは多くあると思いますが、特にイレギュラーな状況では医療者側にも様々な認知バイアスが働くことがあり、少なくともそうなることを自分でわかっている必要があるという風に現時点では考えています。


初期研修医として仕事をするまで、自分は優先順位付けもうまくやる方だしバイアスもかけずに合理的に判断する方だと自己評価していたため、自分にも非合理的でうまくやれない性質があると気づいたのは大きな発見でした。反省するべき場面も多数ありましたが、自分や他人の行動特性についての理解が深まったのは初期研修で得た学びの中でも意義深いことだったと思います。


もう一つの大きな変化は、それまで自分を不必要に制限していた価値観からある程度自由になったことです。佐渡に移住するという「過去の人生との不連続性を作る」ことにはこういう利点もあると思います。


もともとかなり出不精なたちで「人と話すのは好きだし自然や生き物も好きだけど特に外出はしない」という生活を送っていたのですが、佐渡に来ては比較的フットワークが軽くなって、わりと気軽に外出するようになりました。研修同期との距離も自然との距離も近い環境に身を置くことで、動き出すのに必要なエネルギーが軽減されたのが一因にあります。


しかしそれ以上に、今までの自分との連続性をあまり気にしなくなったということが大きいと思います。「こういう場面では今までの自分はこういう選択をしてきたから変えにくい」というような、そこまで強く意識してはいないにしろなんとなくあった惰性による判断や一貫性への過剰な執着から離れ、一旦リセットされた新鮮な気持ちでやってみたかったことややりたかったことに素直に手を出し足を運ぶことができるようになったと感じています。


フットワークの軽さ以外にも変化はありました。もともと他人からはだらしなくて好きにやっている方に見えていたとは思いますが、それでも要所要所で最適さや完璧さを必要以上に求めてそうでない選択肢を取ることに対して及び腰になる部分があったのですが、佐渡で生活するようになってから明らかに気にしなくなりました。最適さや完璧さが重要だったりポジティブな気持ちで拘りたかったりする場面以外で肩の力が抜けたと感じています。他人からの直接の評価や実在する他人からどう思われるかは比較的気にしないでやってきたように思いますが、実在する他人のことは意識して無視できても、いつの間にか内面化していた仮想の他者の視線が自分の中にあってそれを気にして行動していた面がありました。それについても以前と比較して気にしなくなったと思います。


こういう今まで背負っていた不必要な価値観を脱ぎ捨てるのはきっかけがないと難しいことなのではないかと思います。第一段階でアンマッチして佐渡を初期研修先に選んだ時点で大きなきっかけにはなっていたのですが、日本海によってそれまでの居住地から物理的に隔絶され、新しい小さなコミュニティの中で2年間生活することも、新たな自分に変化することを強く後押ししてくれていたと思います。佐渡で初期研修をしたことで柵から解き放たれ、生き方の自由さや自由自在感が増したと感じています。


最後に

どの病院で初期研修を終えた医師もだいたい同じことを言っているとは思いますが、佐渡で初期研修をした2年間はかけがえのない2年間になりました。毎年年齢を重ねるにつれ1年を短く感じるようになっていて、特に大学4年生ぐらいからは毎年「毎日を処理していたらいつの間にか1年間が終わってしまった」というような感覚を持っていましたが、佐渡での2年間はその流れを踏襲せず、小中高の2年間ぐらい充実感のある2年間でした。


自分の意思で自分の人生をそれまでのルートとは違った方向に向けることは、自分の人生を自分で操縦している感覚を強くします。一人暮らしを始めた時、成人した時、初めてドライブをしたときと同じように、一段階自由になったような解き放たれるような感覚があり、さらに生きるのが楽しくなったと感じています。


もちろん2年間を楽しく過ごせたことは良い環境や良い仲間があってのことで、これは自分の力が及ぶ部分ではないので運が良かったとしか言いようがなく、関係する方々や個性豊かで強靭な研修同期5人にはとても感謝しています。虚飾も謙遜もしていない自分をそのまま受け入れてもらえつつ、今までなかった体験や交流に恵まれた結果、快適に過ごせて、清濁併せ吞む力が増し、物事の局所的な結論を急がずにざっくりどっしり構えることができる逞しさが培われたと自分では思っています。


以上、自分語りの要素がかなり強かったとは思いますが、僕が佐渡で2年間の初期研修を行った感想になります。佐渡総合病院は初期研修先としてかなりおすすめです。逆に初期研修期間が人生の中で一番島暮らしを充実させられる2年でもあるかもしれません。「明確に嫌な理由があるわけではないけれどなんとなく離島研修には抵抗がある」ぐらいの人は、その気持ちを振り切って初期研修先の選択肢に入れるのがいいんじゃないの、とかなりおせっかいながら思っています。


ここまでのことは個人的な感想に過ぎないので、他の人に聞けば別の答えも返ってくると思います。興味があれば見学やメールなど一歩踏み出してみてください。黄金の島だけに、輝く研修生活が待っているかもしれませんよ。最後急に何。

聖路加国際病院 研修医 岡田 恭彰

研修医 岡田 恭彰

私は1ヶ月間整形外科を研修させていただきました。地域医療の中で整形外科はどのような役割を担っているのかは実際に研修するまでは想像がつきませんでしたが、開業医が少なく救急部もないため、整形外科の先生方は慢性疾患から外傷まで幅広い範囲の疾患の患者さんを診療していたのが印象的でした。また手術症例が多く外傷はもちろんのこと週1回は新潟大学から専門の先生を招いて専門的な領域の手術も行っていて佐渡で初めてきて経験出来た手術もあり良い経験になりました。

救急当直は佐渡市中の救急患者が全員来るという状況の中、一人で初療を行いアセスメントし帰宅か入院かを自分の判断で行うということは自分の研修する病院では経験できないことで良い経験になりましたし、入院でコンサルトさせていただいた先生方も深夜にも関わらずすぐ来てくれ丁寧に指導していただき大変勉強になりました。

また、最も印象的だったのは手術室でも当直中でも看護師さん達が経験豊富で医師が少ない環境のなかでコメディカルの方々が医療の中で主体的に取り組んでいた事でした。

1ヶ月という短い期間でしたが。佐渡総合病院で学んだ事を今後の医師としての人生に役立てていければと思います。

東京慈恵会医科大学病院付属柏病院 研修医 大戸 弘人

研修医 大戸 弘人

7月という佐渡で最も気持ちのいい季節に、東京慈恵会医科大学病院付属柏病院から1ヶ月間、地域医療プログラムでお世話になりました。佐渡総合病院では主に循環器内科での研修でした。

まず循環器内科では担当患者さんを持たせていただき、指導医の先生と相談しながら、自分の考えを持ってかつ自分でしっかりと責任を負いながら、入院全体のマネージメントを含め学ぶ事が出来ました。また循環器内科での研修でしたが心疾患だけでなく内科トータルで医療を経験できました。もちろん循環器の内容も心臓カテーテル検査にも参加し、循環器内科の先生方に御教授頂き大変貴重な時間を過ごせました。病棟での業務ももちろんですが、僕は内科の初診外来も受け持たせていただけました。多岐に渡る疾患、症状を診る事により鑑別をいろいろ考えることができ大変勉強になりました。その際に循環器内科だけでなく、他の内科、外科と様々な科の先生方に気軽に相談できご指導いただけました。佐渡病院の良さがすごくでているシーンだったと思います。

地域医療と言っても佐渡総合病院の施設は最新で正直病院だけを見たら地域医療とは言えないかもしれません。しかし、水津診療所、羽茂診療所、訪問看護と地域医療の現場を見学できる日を設定していただき地域医療の現状を知る事が出来たのは大変貴重な経験となりました。

仕事ももちろん大切ですが、せっかく佐渡島で1ヶ月住む事が出来たので僕は思い切り佐渡島を満喫しました。海に囲まれた素晴らしい環境の中で趣味の釣りに行く事も多々ありました。休日には、島内観光をし、素晴らしい景色を見ることができ、さらに本当においしい魚介類を楽しめました。佐渡病院の先生方とも食事をしたり、飲みに行ったりと楽しく贅沢な時間でした。そういう意味でも佐渡での研修は魅力的だと思います。

多くの人に囲まれ、多くの人のおかげで充実した佐渡研修をする事ができました。佐渡での研修は大変貴重な経験になりました。本当にありがとうございました。

東京慈恵会医科大学付属柏病院 研修医 馬場 俊輔

私は7月に地域医療として、佐渡総合病院で研修をさせていただきました。佐渡総合病院は建て替えて1年目ということで院内はもちろんとても綺麗で、設備も最新の機器が揃っていて、正直いうと私がイメージしてきた地域医療とは違ったものでした。

そんな病院での研修が始まり実際に診療に携わるようになると、将来の日本を表すかのような高齢化率34%という現実がありました。多くの方が施設に入られていたり1人暮らしであったりで、その地域ごとの助け合いの重要さを実感しました.そんな中現在佐渡では地域医療連携ネットワークと呼ばれる医療情報共有のためのシステムを構築中で、島ぐるみで医療水準を上昇させていこうという動きがありとても印象的でした。一方では、救急外来では軽症からCPAまで多くの症例を学ぶことができました。「この病院が断ったら患者は行く病院が無くなる」という言葉通り、責任をもって医療に携われたことはとても貴重な経験でした。

休日には、佐渡の綺麗な海沿いをドライブしたり、金山へ行ったり、釣りをしたり、お寿司を食べたり…かなり佐渡の暖かい環境と暮らしを満喫しました。私は1ヶ月という期間でしたが、充実してたが故にあっという間に過ぎ去りました。お世話になった岩田先生をはじめ、鈴木先生、有田先生、研修医長谷川、本当にありがとうございました。