ニュースリリース
当直明けの眠気を引きずりながら、カメラを片手に夕方の両津を歩いていた。特に何を撮るつもりでもなかった。日が落ちかけたくらいになって、加茂湖のほとりに出た。
さざ波が光を弾くのをぼんやりと眺めているうちに日は沈み、気づけば金北山の稜線が、残照のなか静かに横たわっていた。
湖面の光が落ち着いたころ、湖畔に長い影を見つけた。
草木に足元を隠された煤竹色の建物が、湖面の上に細い線を引いている。
朽ちかけているようで、どことなく閑雅だ。
当直明けの頭で、そんなことを考えていた。

地図アプリの航空写真を頼りに調べると、それは2020年に閉業した佐渡グランドホテルだった。開業は1967年。有名な建築家の設計らしいと知り、少し興味が湧いてきた。両津図書館の郷土資料コーナーに、ホテルが落成したときに作られたパンフレットが残っているとわかったので、次の週末に図書館を訪ねた。
パンフレットを開くと、設計者の菊竹清訓が、短い文章を寄せていた。
佐渡グランドホテルの構想は 湖にかゝる橋の建築である。
橋。
どこが?と一瞬思った。ホテルは陸の上に建っていて、何も跨いでいない。
だが読み進めると、菊竹は本気で橋だと言っている。湖の両岸を渡す橋ではなく、佐渡の自然と人々、人々と建築、建築と自然を結ぶ橋である、と。
そう言われてから見ると、湖畔の廃墟は、何かを渡そうとしていたものの名残に見えなくもない。図書館をあとにし、そのまま車で湖をまわってホテルまで行ってみることにした。
目の前に立ってみると、水平の客室棟が、台形の柱で空中に持ち上げられており、堂々たる威容だった。柱は橋脚のようで、ホテルはたしかに橋のようでもある。
だが、「橋の建築」という言葉から想像したほど、軽やかな印象はなかった。緑が繁茂し、後年に増築されたらしき部分も目立っていて、全体として重たく見えた。
何かが引っ掛かったまま、帰宅後に古い写真や資料を探してみると、竣工時の写真では、橋脚を透かして加茂湖がきれいに見えていた。建築が自然を遮るのではなく、自然をもう一度見せていたようだった。
そうしてようやく、ホテルに橋という比喩を後から添えたのではなく、ホテルであることと橋であることが、同じ形のなかで重なっていたのだと腑に落ちた。
佐渡で研修していると、医療は病院のなかだけでは終わらない、と何度も気づかされる。
診察し、検査し、診断し、治療する。そこまでは、いかにも大学で勉強してきた医療である。けれど、実際にはそこから先がある。
退院後、家で暮らせるか。通院できるか。薬は続けられるか。食事や入浴はどうするか。家族はそばにいるか。介護サービスは入るか。家に戻るのか、施設で過ごすのか、あるいは別の医療機関で療養を続けるのか。その人が次にどこで、誰に支えられて暮らしていくのかを、病院、診療所、訪問看護、介護、福祉、行政、そして本人や家族が相談しながら探していく必要がある。
病気が良くなっただけでは、人は生活に戻れない。
病院と家のあいだ。急性期とその先の療養のあいだ。医療と介護のあいだ。制度と実際の暮らしのあいだ。
そこに橋が架かっていなければ、患者は途中で立ち止まる。
橋を架ける仕事は、たいてい地味である。生活動作を確認する。家族に電話する。訪問看護や施設に申し送る。紹介状を書く。必要な支援制度を確認する。どれも、教科書的な医療ではない。先日退院したある患者さんでは、インスリン注射をいつ誰が打つかで、家族や施設との調整が一週間続いた。
そういう仕事まで含めて、医療もまた、橋なのだと思う。
ただ、「橋の建築」は、美しい言葉だけでできていたわけではなかった。
別の資料を読むと、加茂湖畔のあの土地は地盤が良くなかったらしい。柱を多く立てると、重みを支えきれない。建築費もかさむ。鉄骨は新潟の工場で作られるため、海を越えて佐渡まで運び、陸揚げして、組み立てる必要があった。
そういった制約のなかで、長大なスパンを少数の橋脚で支える、橋梁の構造が選ばれた。菊竹自身、晩年のインタビューで「結果的にはだから橋みたいな恰好になったわけです」と語っている。
橋は、理念だけから生まれたのではなかった。
地盤と費用と輸送と施工。現実の制約から、橋の形が生まれた。そしてその形が、佐渡の自然と人々と建築を結ぶ橋という、意味を呼び出した。
現場で形が立ち上がる、まさにその瞬間に、形と意味は同時に生まれている。制約を避けるのではなく、制約の中で形を見つける。菊竹の仕事には、そういう感覚があったのだと思う。
佐渡の医療も、制約だらけだ。
高齢化は進み、支える世代は減っていく。患者には複数の疾患が併存し、治療だけでなく、食べること、歩くこと、薬を続けること、家で眠ることまで考えなければならない。家族が島外におり、退院後の支えがすぐには整わないこともある。医療者も介護者も限られ、設備の維持更新には費用がかかる。島外の医療につなぐにも、天候と交通に左右される。
その制約のなかで、それでも患者を生活へ渡すために、医療は橋になる。
理念が先にあるのでも、現場が先にあるのでもない。インスリンをどうするかを話し合っている、まさにその瞬間に、私たちはその人の何を支えようとしているのか、という問いが立ち上がっている。
そういうふうに仕事をするのが、たぶん、医療をやるということなのだと思う。
加茂湖は、今日も静かである。
湖面には、長い影が映っている。
橋だったものの輪郭だけが、そこに残っている。
病院には、今日も誰かが来て、誰かが帰っていく。
医療から生活へ、何度も人を渡していく。
せめて、その橋の板一枚ぶんにはなれるように。
明日もまた、橋のどこかで仕事をする。
研修医 鈴木